三百年以上燃え続けてきた「火様」とは

「火様」とは能登に伝わる囲炉裏の火を守り続ける風習で、家の中で燃やすことで外からの火を遠ざけ、火災に遭わないとされる。中島町河内地区(旧岩穴集落)には、約200年前に火をともしていた記録があり、言い伝えによれば、そのさらに100年前から火を守り続けてきたという。

「火様」の守り人の歴史

12軒の家々は、囲炉裏火を燃やし続ける工夫を重ね、何年も、さらに世代を越えて燃やし続ける知恵と技を生み出した。やがて、この燃え続ける火には先祖の魂が宿ると考えられるようになり、「火様」と敬われるようになった。さらに、火が消えた場合には集落の他の家から種火を貰い、燃え続けさせるというルールが生まれた。

江戸期から1970年までの守り人

1960年代に入り、電気、プロパンガスの普及に伴う生活様式の変化が岩穴集落にも押し寄せ、「火様」の風習は次第に廃れていった。その中にあって中屋家一軒のみが「火様」を単独で46年間守った。

1970年代から2016年までの守り人

2016年5月、半世紀にわたり「火様」を守ってきた中屋家もついに囲炉裏を閉じることとなり、「火様」は燐の岩穴家に籍を置く能登里山クラブ岩穴(代表 森田孝夫)が継承することとなった。

 

囲炉裏火として維持することは困難であったため、薪ストーブの中にオイルランプを設置して「火様」を灯し、Webカメラで見守るという新たな方法(装置)が考案され、現在に至っている。

 

 

2016年から現在までの守り人

「火様」に関するよくある質問

質問1.  なぜ300年以上にわたって「いろりの火」を守ってこられたのか?

質問2 .  火種が自由に手に入る時代になって、囲炉裏で火を守る意味は何か?

回答1 家の中で焚き火ができる家屋があった

 

回答2 安心安全に燃やし続けるための知恵(知識)と技(技術)があった

 

回答3 24時間365日、家を離れないで生活できた

 

回答4 絶大な家族の協力があった

回答1 屋根裏から外気が入りやすい家屋構造のため、囲炉裏で火を燃やして外気の流入を防ぐ必要があった。

 

回答2 木造茅葺の建築素材を保持するために煙で燻す必要があった。

 

回答3 先祖から受け継いだものを大切に守り、次に伝えるという能登人の気質(精神性)と関係がある。(例)能登ヒバ、

    能登キリシマツツジなど

 

 

岩穴集落では「火様」を囲炉裏のなかで燃える「生活の火」として大切にしてきました。中屋家を最後として囲炉裏の「生活の火」は終わりました。今後は「火様」の種火をオイルランプに灯し、新しい形で継承していきます。そこでその火種に新しい名前を付けることとし、岩穴集落に伝わる火という意味で、「岩穴の火」としました。また、ロゴマークを作成し、商標登録しました。

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